作成日:2016/05/20 by AM   

 旧臘12月14日に集いし者38名。「討ち入り」メンバーである。
「忠臣蔵」にひっかけて、忘年会の日としたのは43年前、昭和48年のことだった(小泉一郎氏メモによる)。 爾来40年余。神田「ぼたん」を主舞台として2部屋ぶち抜きの大広間に、常時50名を越す同志が、熱く語り合ったものだ。
 が、歳には勝てない。座敷派より椅子派が多くなり、かくて亀戸アンフェリシオンに。
 その効果は、一昨年の35名より3名ふえた。ささやかな実績だ。今年は亀戸二年目新しい展開になると思う。
 喜ばしいことに三月の時点で届いた「黒い縁どり」の訃報はゼロ。みんな元気にやっているんだ。たったひとつ心残りなのは、 大方は年男の84歳なのに(おそらく最後の輪廻になるだろう)だれからも発信がなかった。「サルの会やろうよ」という声が。


田口 雅雄 (48回) 記     
(淡交会報第76号より 転載)

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