【 淡交会 会報82号より 転載 】       最終更新日: 2019/05/17   
 ベトナムに「来遠橋」と
いう橋があります。 通称
「日本橋」と吁ばれていま
す。 論語の学而編にある
「朋あり 遠方より来たる、
また楽しからずや」に由來
していると言われています。
日越友好のシンボルです。
二万VND紙幣にも描かれ
ています。平成時代に昭和
女子大学の発掘調査によっ
て遺構が発見され、やはり
一五九三年に当時の日本人
が建立した橋であることが
解明されています。平成三
一年三月、この「来遠橋」
を訪れました。
 私がベトナムに興味をもっ
たのは平成二八年匕月、淡
交会総会において、早稲田
大学政治経済学術院坪井善
明教授(六四回)の「南シ
ナ海問題に直面するベトナ
ム」と題した講演を聞いた
ことがきっかけでした。着
任早々のことでした。
 ベトナム社会主義共和国
に世界遺産は八ヵ所ありま
す。そのひとつホイアンは
一九九九年に「古い町並み」
として世界文化遺産に登録


されました。第二次世界大
戦やその後のベトナム戦争
などを考えると、一六世紀
の町並みがそのまま残って
いるということは奇跡と言
えます。ベトナムは南北に
細長い国です。面積は日本
から九州を引いたくらいと
言われています。中部にダ
ナンという大都市がありま
す。十匕度線に近く、王朝
時代の都でもあったため、
過去の戦争の舞台でもあり
ました。現在は五行山、阮
朝史跡、チャンパ王国遺跡
(世界遺産)等が観光地と
なっていますが、何といっ
てもカジノや高級リゾート
地として世界中の注目を集
めている場所です。夜 火を
噴くドラゴンブリッジが街
の中心にあります。
 ダナンから南に三〇q行
くとホイアンがあります。
色とりどりのランタン祭り
が有名です。こんなに人が
いるのかと思えるほど観光
客が集まっていました。観
光地ですが居住地でもあり
ます。観光客の合間を子供
たちが自転車で走り回って






います。よく世界遺産に登
録されるとその街は廃れる
ということかありますが、
ホイアンは二〇年近くたっ
ても益々人が集まる魅力的
な街となっていました。
 江戸時代鎖国政策をとる
ときまで、日本もこの港町
で交易を行っていました。
一六世紀末以降、ポルトガ
ル、オランダ、日本、中国
を中心に国際交易港として
繁栄し、最大で千人くらい
の日本人が生活していたよ
うです。いわゆる朱印船貿
易です。先の「来遠橋」は
日本人街と中国人街を結ぶ
ために日本人が建設したと
伝えられています。橋の両
端には犬と猿の像が一対ず
つ置かれ、当時仲が悪かっ
たとの風説もありました。
 ダナンでは現地の高校を
訪問しました。小学校から
高校まで児童・生徒数が多
く、朝七時からお昼まで、
お昼から夕方五時までの二
部交代制です。四五分授業
で太鼓の合図で授業が始ま
ります。中国の四合院のよう
な校舎でグランドや体育館な
どはなく、生徒たちは休み
時間中庭で遊んでいました。
 ダナン外国語大学の日本
語学科では、学生が日本語
を熱心に学んでいました。
大学の教授の給料が約二百
万VND、日本円にして約
一万円というのには驚かさ
れました。ベトナムの先生
は概して給料が安いようで
す。
 ベトナム国民の平均年齢
は二九歳です。経済の発展
ぶりには目を見張るものが
あります。都市のエネルギー
が伝わります。出会った人
たちは若い人が多く、何か
熱を感じることか不思議で
した。
 一昨年はホーチミン市や
ドンナイ研究学園都市に行
き、洪水のように流れるホ
ンダバイクに圧倒された記
憶があります。今回二度目
のベトナムでしたが、都市
の近代化や急成長を遂げる
部分、一方で、頑なに伝統
や歴史的建造物を残そうと
する、或いは破壊された史
跡を何年かけてでも復元し
ようとする部分を両存させ
ている国、NHKの朝ドラ
「おしん」を好む国民性、
親日国ベトナム、また訪れた
いと思います。きっかけをい
ただいた 淡交会に感謝です。

世界遺産ホイアンを訪ねて


【 平成30年 12月 校長 御寄稿 】