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最終更新日:2003/6/12 18:10
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淡交会資料室だより
資料室委員 田村 光 (48回) 芥川龍之介といえば、 我々三中・三高・両国高に学んだ者にとって、 その作品のいくつかは必ず読んでいるだろうし、 彼のあの風貌、 三中生の頃の坊主頭、 作家として名を成してからの和服姿で顎に手を当てた姿を、 写真で一度は見ているに違いありません。 その芥川龍之介の存在は、 少なくとも日本の近代文学を研究する人達にとっては、 避けることのできない対象であった筈です。 私が両国高・淡交会資料室の手伝いをすることになって最初の印象は、 正に宝の山に入った―― という感覚でした。 事実、 芥川龍之介の著作は云うに及ばず、 芥川に関する研究書・資料が、 学者・評論家はもとより、 同世代の作家の人達の想い出に至るまで、 キチンと整理されて並んでいたのです。 その中に昨年ユニークな資料が二点加わりました。 ひとつは、 山梨県の某大学文学部四年の女子学生が卒業論文としてまとめた 「若き日の芥川龍之介―― 府立三中時代を中心に―― 」 です。 これは昨年の夏から秋にかけて何回かその女子学生がこの資料室を訪れ、 岡田孝一委員 (41回) の指導を受けながらまとめたもので、 なかなかの力作であります。 そしてもうひとつは、 都内某私立高の校外学習 「江戸・東京の歴史と文化をさぐる」 で二年生の男子生徒が取り組んだ 「芥川龍之介について」 のレポートです。 彼H君は、 昨年11月12日の朝、 始発電車で目黒区の家を出て最初に芥川生誕の地、 築地聖路加病院を訪れ、 次に両国回向院そして大川端を望んでから亀戸天神を経て午前九時半、 本校へ来て資料室で私と会いました。 学友会誌に発表した 「義仲論」 をはじめ在学中のいくつかの文章を紹介、 それをコピーにとって行きました。 正午過ぎ資料室をあとにした彼は、 田端の芥川終焉の地文士村の跡地を訪れ、 さらに巣鴨に足を伸ばして慈眼寺の墓を訪ねています。 若さにモノを云わせた行動力と好奇心。 彼が中学受験を控えて読んだ芥川の 「地獄変」 で触発された読書欲そのままに、 足と目 (写真) と手でまとめたレポート。 学校へ提出したもののコピーを送って来てくれたものですが、 一読して頭がさがりました。 内容は雑駁なものですが、 訪ね歩いた処々の点描におけるH君の視点には驚かされるものがありました。 なぜこうもながながと書いたかというと、 高校時代にひとりの人物について傾倒してみることを、 母校の先輩芥川龍之介について他の高校生がやっていた事実をお伝えしたかったからです。 三中・三高・両国高から巣立って一家を成した作家・画家・音楽家。 医者・学者・政治家。 あらゆる分野で傑出した人物に関する資料を、 できるだけ沢山収集し分類・整理・保管することが資料室の主眼ですが、 死蔵されてしまっては全く意味がありません。 私も古稀を過ぎましたが、 体力の続く限り淡交会資料室の仕事はボランティアで続けて行きたいと思っています。 そしてできるだけ母校の後輩諸君に役立ててもらいたいと願っています。 ひとりでも多くのH君が後輩の中から出て欲しい―― そんな思いがいっぱいです。 それにしてもさらに思うことは、 この資料室のスタッフのことです。 委員の岡田先輩は41回、 私は48回。 運営委員には現職の教員の後輩を含め67回位までの5名ほどの委員がいますが、 34回の伊坂達孝先輩は別格として、 実際の業務に従事するスタッフは2名だけです。 社会の第一線からリタイアしても、 週一、 二回ボランティアとしてまだまだ仕事をしてみたいという若手 (?) の意欲ある方はいらっしゃいませんか。 ぜひ一度資料室へ遊びに来てください。 03―5600―1231留守電も入っています。 ご一報をお待ちしています。 |