岡田孝一(41回) 元資料室委員長 は 前年 肺炎のため 逝去されました。  (スマホ)  最終更新日: 2015/06/02    
12月18日に逝去されました。 心より哀悼の意を表します。 (享年88歳)

 平成13年6月、岡田孝一 資料室委員長からお話しがあって、初めて資料室を訪ねたのが  そもそも淡交会との関わりの嚆矢となりました。 まさに宝の山に入り込んだ感覚で、週2回の出勤が楽しみでした。   資料室勤務と同時に ちょうど佳境に入っていた「百年誌」の編纂に首を突っ込むことになりました。   「百年史」でなく「百年誌」と称せざるを得ない 母校100年の星霜の中での 二度に亘る「関東大震災」と  「東京大空襲」の 校舎焼失の災害で資料を失った苦衷は、直接 岡田先輩から伺ったことでした。
 10数名の編集委員達にそれぞれの叙述で ”― と思われる” とか ”― だろう” との伝聞の事実の 徹底的なチェックを行っておられました。  それは恰も ご自身が、アノ「東京大空襲」の 昭和20年3月10日、旧三中のプールで命拾いをなさった<経験>を原罪意識として、まだ<戦争>が終わっていないと 心にきめられた事実を、ひとりで背負って来られた 峻別な感覚の延長だったのかも知れません。
 この2年ほど おからだの不調から、資料室のある 旧校舎の三階へは もう昇って来られない と仰言っておられたのは、ご自身「散骨」を決めておられた事実から拝察しても、われわれ後輩に 陰に陽に 生き方のノウハウを示しておられたと考えられるのです。
 岡田先輩の提唱で創められた「歴史教科書を読む会=歴読会」も、もう10年 メンバーを固定して続けられています。 アノ少しごもりながらも正鵠を射た発言が もう二度と伺うことができないかと考えますと痛恨の限りですが、私共不肖のな弟子として なお今後とも 先輩の意を体して、真面目に生きて行こうと 心に誓っております。
  合掌。
田村 光 ( 48回; 前資料室委員長 )